というわけで、本日は東京都写真美術館で開催中のマリオ・ジャコメッリ写真展に行ってみました。
マリオ・ジャコメッリ |
そもそも、マリオ・ジャコメッリに行こうと思ったのは、チラシにあった作例が、植田正治に似ている気がしたからです。
ですが、ぶっちゃけそんな生やさしいもんじゃなかったです。
とくに1950年~ごろからの「ホスピス」をテーマにした「死がやって来ておまえの目を奪うだろう」がキツイ。
この写真を見ていると、この写真家の本質がよく見える気がします。
「生」と「死」、それをつなぐ瞬間が連続する「時間」、それを貫く「狂気」。
世界の残忍さ、冷酷、孤独をあえて写真として切り取って、自分が傷つき、他人にもそれを見せて傷つけるような、そんな芸術家らしい魂が伝わってきました。
鑑賞するなら、それを覚悟の上で観るのがオススメです。
別の観点からすると、銀塩写真で絵画のような美しいプリントができるのにも驚きました。
デジタル時代じゃないので、どうも印画紙に焼くときに何かの作業をするようなのですが、おそろしいほどに完成されている。
もちろんもとのフィルムの完成度が高いのだとは思いますが、よくもあれだけきれいに人物の影だけ残して地面を消したりできるものだと思いました。
「私にはこの顔を撫でてくれる手がない」などの作品がこの代表といえるでしょう。
人生の終焉に近い頃の作品も展示されていましたが、個人的にはあんまり高く評価はできませんでした。
ジャスパー・ジョーンズとかもそうだと思うのですが、やはり芸術家も高年齢になると作中のパワーが落ちる気がします。
たぶん、それは人間として正しいことなのかも知れないと思いますが。
若い頃は狂気があっても、長く人生を旅すれば次第に世の中を受け入れるようになって丸くなっていくものだと思います。
面白いのは、なぜか皆、抽象的なモチーフを選ぶようになる気がすること。
もしかしたら、人間は年を取ると、個々に存在していたものが融和して、溶けていくように感じるのかもしれませんね。
わたしにはまだわかりませんがw
ご興味があれば、ぜひ。
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